2012年6月13日放送のクローズアップ現代を信じるべきかを考えるための考察

要約

この番組は、「薬は利益と害を天秤にかけて使うものである」という医療の基本から外れて、多様な薬を「向精神薬」という括りでまとめて悪者にしてたたくことで溜飲を下げており、しかもその根拠は無知な医師の思い込みだけである。また、たたいた後の改善提案は理論に基づかない単なる願望であり、問題解決に繋がる根拠がない。このような番組は、現在投薬治療を行っている人に対して無用な不安を与え、医療システムに不必要な負荷を与える有害なものである。また、ただでさえ敷居の高い精神科受診をためらわせることで、助かる命をも毀損しかねないものである。本文章では、番組を見た人が過度に薬を避けることがないよう、番組内容が薄弱であると判断するのに役立つ情報を列挙する。

番組の内容と主張

端的に言えば「子供への向精神薬投与が増えているので、なるべく減らすべきだ」という主張である(番組 web ページ)。

問題点の要約

  1. 出演した医師は経験ある精神科医ではない可能性が高いのに、あたかも精神科医であるかのように見せて誤った知識を権威付けして広めた
  2. 薬を使った医療を感情・願望で評価し、エビデンス(証拠)を無視している
  3. 向精神薬をすべてひとくくりにして語り、個別の事情を無視している
  4. 向精神薬を使った場合の害のみを強調し、向精神薬を使わなかった場合の害を無視している

出演した医師は経験ある精神科医ではない可能性が高い

まず最初に指摘しておくべき点として、「児童精神科医」という肩書きで登場した医師(以下「医師A」とよぶ)は経験ある精神科医ではない可能性が非常に高いという事実がある。この医師Aに関連して、ネット上で以下のような文章を見つけることができる(webページ、消えた場合はこちらの魚拓が同内容)。

私は、小児科に14年勤め、身体医学に限界を感じて精神科に移動した。精神医療の一部(30年前のごかいの活動なども含め様々な人間観)には多くを学んだ。けれど、神経学が専門だったので、精神科薬剤治療だけは、最初から認められなかった。そのため30年間、多くの医師に批判されながら、細々と恐る恐る、単一薬剤・少量投与を守ろうとしてきた。

これが同姓同名の別人である可能性と、医師Aをかたる偽物が書いた文章である可能性がないと仮定すると、医師Aは薬物治療の経験がほとんどないと言える。精神科で薬物治療の経験がない、というのは、まともな治療行為はしてきませんでした、と言うに等しく、精神科医と名乗るに値しない(もし薬物なしで統合失調症うつ病を治療できるならそれはすばらしい成果であり、テレビに出演せず論文を書けば一流誌に採録間違いなしだろう)。端的に言えば、彼の「薬は危ないのである」という主張の根拠は、薬を使ってみた経験に基づくものではなく、無知からくる思い込みである。何百・何千という患者と向き合ってきた本職の精神科医の投薬と、「私は投薬しません、なぜなら投薬は嫌いだからです」と言っている医師の意見のどちらを信用するべきなのか、各自でよく考える必要がある。私は本職の精神科医を信頼する。

もうひとつ指摘しておかなければならないのは、この文章が、ある別の医師(区別のために以下「医師B」とする)が書いた本の出版にあたって寄せた文章であり、医師Bは有名な「セカンドオピニオンの医師」であり、かつ医師Bこそが番組中に出てきた「セカンドオピニオンの医師」である、という点である。私はこの医師Bのセカンドオピニオンが適切だとは思えない。医師Bのセカンドオピニオンをどう評価するかは、医師Bの web サイトと、おそらくその医師Bのセカンドオピニオンを受けたであろう患者家族が別の精神科医の質問コーナーに寄せた質問及びその回答を見て、各自で考えるべき問題である。私は後者の文章により説得力があると判断した。

薬を使った医療を感情・願望で評価し、エビデンス(証拠)を無視している

医師Aが薬物治療の経験がない自称精神科医だとすれば、番組が問題のある内容になった理由は容易に説明することができる。まず、薬を使った医療を感情・願望で評価し、エビデンス(証拠)を無視していることの是非について検討する。ここでは、向精神薬の一種である抗精神病薬統合失調症の治療薬)を例として用いる。

昔、統合失調症(当時は精神分裂病)は不治の病だった。1952年にクロルプロマジン(製品名コントミン・ウィンタミン)が発見されて、多くの患者が救われるようになった。もちろん薬には副作用がある。コントミンのような古典的な抗精神病薬には手足のふるえなどが、ジプセキサやセロクエルのようなより新しい抗精神病薬には糖尿病を悪化させる副作用がよく知られている。よって投与する薬の種類や量が少ない方がよい、というのは当たり前の話で、議論する余地などない。

議論の余地があるのは、「どのような薬の種類や量なら、より少ない副作用でより大きな効果を得られるか」という点と、「カウンセリング・外科的処置など、薬以外のより副作用が少ない代替手段で、薬と同等以上の効果は得られるのか」という点だ。医師Aは代替手段として「子供とよく向き合う」という方法を提案しているが、比較対象である薬の効果について無知である以上、定量的比較を行わない単なる願望であり、非常に無責任である。責任ある医師ならきちんと効果を評価して論文としてまとめるか、まとめられた論文を読んで判断しているし、私たち一般市民は書籍(例えば福井2003)でその集大成を知ることができる。精神科領域では、「重篤抗うつ剤が著効しないうつ病患者に対するECT(電気けいれん)」「パーソナリティ障害に抗不安薬ではなく力動的精神療法(小羽2009)」といった代替手段が考えられる。

この「薬の利益・害を他の手段の利益・害と比較して、薬のほうが利益が大きいと判断できる場合には薬を使う」というのはとても重要な考え方である。なぜなら、「害があるから全部ダメ」という利益を無視した考え方は、薬の利益で救える人を見殺しにすることを意味するからだ。

よく考えてみると、この考え方は向精神薬に限らず、あらゆる医療措置に適用可能だと言える。例えば、手術しなくても問題がない(死なない・生活レベルが下がらない)のであれば、手術はしないほうがよい。なぜなら手術するという行為そのものが、感染症などの原因になり得るからである。リスクゼロを目指すなら、座して死を待つのみであり、それでよいと個人が思うのは個人の裁量であるが、テレビに出て他人に喧伝することは、救える命を失いかねない危険な行為だと考える。

十把一絡げ

向精神薬といっても多種多様であり、薬の種類によって気をつけるべき点が異なるが、医師Aには区別ができない。ゆえに、薬の利益・害を適切に判断できていない。

たとえば番組中に出てきたADHD(注意欠陥多動性障害)に処方されるコンサータ(というよりその成分である塩酸メチルフェニデート)が問題にされるのは、その構造が覚醒剤に酷似していて、耐性・依存性が強い点に理由がある。昔の睡眠導入剤は過量服用で呼吸停止する危険があったし、最近の抗不安薬や睡眠導入剤の多くには依存性がある。抗精神病薬は必要量だけ服用すると副作用が強く出るため、別の薬の併用が必要だったり、複数の薬を組み合わせる必要がある。古い抗うつ剤には便秘の副作用があるし、抗うつ剤全般の特徴として効果より先に副作用が出るため、精神科医でなければ、副作用を我慢して効果が十分出る量まで増量するのが難しい。ドグマチールという薬には「食欲が出過ぎて太る」という珍しい副作用がある。 (以上の薬物の添付文書はすべて独立行政法人医薬品医療機器総合機構の医薬品添付文書検索ページから取得できるが、副作用の頻度や深刻さは実際にたくさんの患者に対して処方している本職の精神科医にしかわからない)

といった具合に多彩な効果と副作用をもつ向精神薬を、十把一絡げにして、いい・悪いを議論するのは意味がない。議論したければ「うつ病に対する治療としてのパキシルは衝動性の点でよくないから、第一選択肢としてはデプロメールを○○mg から始めて、随時増量して○週間で××mg まで増量して、それでも効果が発現しなければ次は○×を使う」といったように、薬の種類・量を特定するべきだ。とてもつまらないし難しいが、医師の存在意義はこういう知見を日夜集め続けてより確実に効果が出る医療を提供することにある。それを放棄して薬全部を否定するなら、医師として、薬を全部放棄するほうが効果があったということを論文で発表すべきだと思う。

向精神薬を使った場合の害のみを強調し、向精神薬を使わなかった場合の害を無視している

番組の最後で医師は「精神障害では死なない」と言った。とてつもない誤りであり、この番組における最悪の発言である。うつ病が原因で自殺する人は年間6949人いる(厚生労働省資料、平成21年)…というだけで十分反証になるだろう。他にパーソナリティ障害で自傷・他害したり、統合失調症で人格崩壊する人の数を数えたらいったい何人の人生を破壊しているかわからない。医師Aはそういう患者を意図的に避けることで「精神障害では死なない」という状況に達し得たのだと思われる。医師としては楽だろうが、見放された患者の末路を考えると悲しい。経歴を見る限り小児科の経験があるので、おそらくここで多くの死に目を見て幾度も悲しい思いを抱いたのであろう事は容易に想像できて同情するが、だからといって薬で助かる命をドブに捨てる行為には賛同できない。

「ではどうすればいいのか」という考察がない

いみじくも石川氏は「この問題は原発問題と同じ」と発言した。この点については皮肉にも全く同感だ。薬とか放射性物質のようなたたきやすいものを何も考えずにたたくのは実に気楽なものだが、たたいたところで病気や問題行動がおさまったりエネルギー問題が解決するわけではない。

では、現状をどうすればいいのか。これも各自が考える問題であって、誰かの考えを盲信するようなことではないと思う。個人的には、精神科のような敷居の高い科に対して気軽にアクセスできるようになるのは利点が大きいし、患者のQOL向上に役立つなら、小児に投薬するのもやむを得ないと思う。例えば医師によってその態度に大きなばらつきがあるなら、例えば肝炎治療ガイドラインのように、一般人も参照できる形で、学会が何らかの基準をまとめてもよいのではないだろうか、と思う。

追記

web 上に別の考察があった。(2012-06-14 21:44)